ヤハリ、舞戻ってきます!タケノコ名人。
この終わりなきタケノコの争奪戦は、しばらくは続きそうですね(苦笑)
ただ、あれから色々とイノシシの行動を考えていだんです。
今回は、そこで浮かんだ仮説を少しお話ししてみますー
長文ですが、さらっとお付き合いください(笑)
仮説①『ピットとは、元々イノシシがタケノコを掘った跡!?』
ちょうど同じくらいの大きさですしね、
そのセオリーによれば、ピットには竹の根が通っている訳で、
水や空気が通り土壌の柔らかいピットは、タケノコは生えてきやすいでしょう。
もしそうならば、そんなピットに樹木を移植するのはリスキーな訳です(苦笑)
仮説②『イノシシが裏山再生に一役買っている!?』
一方で、イノシシがあれだけ大きな穴を掘ってタケノコを採るので、その穴はボッコの働きをしているのかもしれません!?そんな考えさえも浮かんできます(笑)
「イノシシはすでに里山DIYしていたのか!?」
それを否定が出来ない訳ですね(笑)
以上の仮説。
実際はイノシシに聞いてみない限り、この話の落としどころはありません(苦笑)
しかし、こんなことを考えていたら。。。
タケノコも取られピットも荒らされた、怒りや不安は収まりました(笑)
そして、イノシシのその行動に対して、
特段に悪いことをしているようには思なくなりましたね。
それは「人間の都合でなくて、自然界の都合を考えた目線で」ですが。
里山DIYをはじめて、意識や感覚も変わってきたのでしょうか。
これは個人的な考えですが、自然界の動植物が、自分たちの暮らす場を悪くなるようなことをするとは思えないんですよねー
イノシシのその行為は、筍を間引いて竹林の管理していることにもなっているし、掘った穴が空気や水を通して土壌の新陳代謝を促していることもあるだろうし。。光が入り風や水は通る、自然環境的には、良くなる行為ではと思えています。
それは竹の立場からも助かる行為で、お互いの関係性が保っているのかもしれません。竹だって暗く荒廃した竹林にはなりたくないだろうし、適度な光と風が入る気持ちい竹林でありたいと願っていると思うんです。
ただ、竹は日本の土地では繁殖力が強く大きいだけに、
共生するには外的な協力が必要なのでしょうね。
ですから人間が植えた竹を管理しきれずに放置し続けた状況において、イノシシの自然な行動が人にとって代わったと考えれば、まんざら。。。でしょう(笑)
今までも今でも、自然とのバランスをとって暮らしているのすから。
掘るのも、取るのも人よりも名人な訳であります(笑)
逆に、イノシシにDIYしてもらおーかと考えてきますね(笑)
この里山でもそうですが、
放置されている竹林が、本当に悲惨な環境を作ってしまいます。
竹の繁殖力は凄まじいので、あっという間に竹に地表面を根が覆いつくし地盤がカチコチ。土壌の保水力が失われて、地崩れの恐れをはらんできます。
地崩れも、土砂を崩すことによって自然の均衡を保とうとする、いわば「自然の反応」な訳ですから、広義な話では環境変化に対する自浄作用とも考えられます。
ただ、この里山で暮らしたい私たちには、地崩れは避けたい「自然の反応」なので、自然が均衡を保てるよう微力ではありますが里山DIYをする訳ですね。
イノシシに端を発して、まとまりのない話となってきましたが、
元を辿りピットの目的は、竹林の整備も含まれる『裏山の再生』。
「竹もイノシシも、何も悪いことをしていない」
「その自然な行為は、(もしかすると)環境を守ろうとしている行動」
と見方を変えてみると、新たな自然界とのつながりが垣間見れた今回。
ちょっとした意識や考え方の転換です。
「彼らの自然の行為を考えた上で、人がナニが出来るか。どう共生するか。」
そんなことを考える機会となりました。